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幸せな子孫へ
大切なものは・・・・なに?。 仕事?勉強?遊び?家族?お金?友達? 明るい未来を描ける日。そんな日のことを想いながら・・・
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脱こども望こども

Author:脱こども望こども
社会の動きに疑問を感じ、だいそれた希望とか描いたりしましたが、結局のところ口先ではなく、行動で示すしか無いというアタリマエ結論に・・アタリマエを如何に実行していくのか・・その過程で考えたこと、悩んだこと等々ひとりごとのように書き綴っていきます。稚拙な日本語ですが、どうぞよろしくお願いいたします。



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会話の効用
今日は外来の受診のついでに、作業療法のプログラムに参加してきた。
個人的には、どちらがついでかというと、受診がついでのような
気もしなくはない。


人間は社会性の動物である。

現時点で、仕事という枠組みに組み込まれていない自分は、
どこか地に足がつかないような、宙ぶらりん状態にある。

そんな時に作業療法のプログラムに参加すると
作業療法士さん、患者さんと、色々会話することが出来る。
その会話の内容も少しは大切であったりするのだが、
どちらかというと、誰かと会話する、誰かが話しかけてくれる
そういう行為自体が、心の支えになっているような気がする。

僕なんかは到底かなわないような、人生の達人のような方も
ごく一部にいらっしゃったりして、非常に勉強になる。

こういう素敵な人との出会いを与えられたことに素直に感謝して、
その人の話して下さった言葉ひとつひとつを、これからの自分のための
お守りのように大切に胸にしまって・・・






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足元を見る
毎週末、娘たちに会いに家に戻る。
まだこういう生活が始まって2週間もたたないが
色々考えさせられることがある。

遠い将来のこと、ちょっと近い未来のこと
両方を考えてマイナス思考。

ありえるかもしれないが、まだ起こっていないことまで
先回りして心配ばかりしていると、頭が負の堂々巡りと
なり、妙なストレスを抱えたりしていた。


ストレスを回避するため十分な睡眠をとって
子供たちと遊び、その屈託のない笑顔を見ていると、
人の親として彼女たちにしてあげられることは何か
というアタリマエのことに立ち戻ることができた。

足元を見て、今自分に出来ることを
積み上げていこうと・・・




もうひとつのホームグラウンド
退院して一週間ぶりに病院にやってきた。
外来でも、作業療法のプログラムに参加できる。

頭では理解していたけれど、一週間ぶりに病院に来るのは
少し緊張した。

いざ、やってきてみたら、知っている人に会った瞬間から
ホッと落ち着いた気持ちになれた。
家庭・家族以外に落ち着ける場所があるというのは
非常にありがたいことである。

入院中にお世話になった患者さん達と久々に挨拶をし、
何気ない会話をする。ただそれだけで、落ち着く。
精神科の病院に入院している人はとても心が優しく
人の気持ちがよくわかる人が多くいらっしゃる。

入院前後は非常にストレスフルで、人のことを
全く信じられなくなっていたが、今はこうして
人を信じることができる。

そんな自分を好きになれる。そうさせてくれるような
素敵な環境を得たことに感謝。





雫の流れ
雨上がりの公園に行ってきた。
何かをしなくちゃいけないという焦りもあるが、
何もしないという選択も、ひとつの選択だと自分に言い聞かせて。

もやもやした気持ちになるときは、好きな音楽を聴いたり、
自然の中に身を委ねると、随分とすっきりする。

雨上がり、雨で濡れた気のベンチに小鳥たちが
飛んできては、少しお話をして、また去っていく。
また別の小鳥が飛んでくる。

そんな何気ない光景を見られることの幸せを感じ、
雨の雫が小さな流れを地面に作っている姿を堪能したり・・





欠け落ちた歯車
自分なりに懸命に生きてきた。
何かの役に立ちたいとも思った。
たぶん、それなりに何かの役には立ってきた。


心が歯車のようなものであるなら、
もしかすると僕はいろんな歯車に合わせようと
無理をして、自分の歯をボロボロにしていってたのかな。

協調性と言えば聞こえは良いが、
無理がたたって、歯車の歯が全てなくなり、
誰とも協調することができなくなって
病に陥った。

今は、そこから徐々に回復していく時期。
焦りばっかり生じるし、寂しさもつのっていくが
どこかでこの寂しさが優しさに変わるんだろうと
密かに期待しながら、ゆっくりと歩みをすすめよう。


20121022-1.jpg

漠然とした不安と・・・
新しい一歩を踏み出す。
誰も見ていない。

自分の中で新しい一歩がいつ始まるかとドキドキしている。
自分を見失い、頭が暴発してしまった4ヶ月前。
きっかけはインターネット上の誹謗中傷だと思い込んでいた。
今となっては、それが、全て妄想の中での出来事なのか、それとも
一部は実在したものかすらわからないし、今更ほじくり返して確認する作業に
ほとんど意味はないような気はする。

僕のことを頭がおかしくなってしまったと心配してくれる人は
全てが空想の中の出来事だという。

それならばそれで良い。今はそう思う。


退院という区切りを迎え、恐る恐る一歩ずつ足を踏み出したり、
心の位置を探りながら、漠然とした不安を抱えている。

ただ、一番大切なものに触れると、病気になった原因探しよりも
如何にして、同じようなことにならないか、
そして、大切なものをいかに守るか・・・

近づきすぎていると気づかなくなったり、鈍感になったり
していたものに、今は気づくことができる。

漠然とした不安の方が大きな部分を占めるが、
ほんのかすかなではあるが、希望のような
ものが入り混じったような感覚もどこかに存在する。

焦らず、これも貴重な体験だと心に刻みながら・・








揺らぎ
退院して3日目になる。
当日はバタバタ。昨日は少し寝不足もあってマイナス思考。
今日はぐっすり睡眠もとり、お天気も良いためか 心が晴れている。

睡眠の大切さを改めて思う。

数カ月先を考えるよりも明日。明日よりも今。
今を楽しみ、少しだけ先の未來に明るい希望を・・・

しばらくの間は、こんな感じでゆらゆらしながら
少し潜水して、徐々に浮上していければ・・・




退院しました。
3ヶ月半ほどの入院生活を終えることが出来ました。

数多くの貴重な体験をし、数多くの人との出会いがあり、
多くの笑いと、ほほ笑み、笑顔、素敵な優しさに出会いました。

少し大げさかもしれませんが、人生で一番充実した期間で
あったような気すらします。

長い人生の中でのちょっとした小休止。
これって僕にとってはとても重要な要素です。

休止している最中にエネルギーをため、考えを深め、
人の優しさに気づき、人の可能性に気付く。

そして再開は、どちらかというとスローなテンポではじめる方が
上向きの曲線の後に訪れる安定期が長くなるような気がします。

焦らず、奢らず。
そして、自分の心の声をしっかり聴き、一歩また一歩と
歩みを進めていきたい、そんな気持ちです。






フィルター越しの世界
人は見たままの世界ではなく、それぞれの人生経験を通して
目の前で起こる出来事を受け取る。

小さい頃に植え付けられた、辛い体験、逆に楽しい体験を
通して、大人になってからも自分の目の前で起こる出来事を
見てしまうことがある。

また、これから起こる出来事についても、
過去に起こった辛い体験が再現されるんではないか
というある種の恐怖感に基づいた想像をしてしまうこともある。

生死が関わるような恐怖ならば、最大のリスクを見込んで
行動する必要があるが、そんな状況は生きているうちに
数度あるかないかである。

ならば、ある程度実現可能な明るい未来を想像し、
自分の行動を決めていくほうが、きっと
楽しい人生をおくれるんではないだろうか。

そんな小さな幸せな想像の積み重ねが世の中全体に広まれば・・・



20121017-1.jpg

心との対話
そもそも心とは何であり、どこにあるのか?
それすらわからない存在であるが、心は体のどこかに宿っている。

一般社会の常識により半固定化された幸せのあるべき姿。
それを目指す頭脳は、心までも、それを目指すように仕向ける。

心は意思が強く、心と違う行動を人が起こすと
痛みを伴う仕掛けを持っている。
心と意思に乖離が起きれば、あまり良くないことが積もっていく。
なので、ふだんから自分の心の言葉を聞ける
空間・時間を確保することは大切だなと思う。





動きを捉える
散歩中にふと思った。
僕は止まっているものではなく、動いているものを捉える方が
得意なんだと。

静と動 両方あって自然なのだが、
完全なる 『静』 というものは、この世界にとって非常に稀なもので
あるような気がする。

そんな僕が一番好きな『動』は
人の心の移ろいである。




そろそろ再スタート
退院を目前に控え、気持ちが揺れ動く時期である。
体は非常に正直で、入院して初めて本格的な風邪になった。

そして、心と心がぶつかるようなイベントでも
あまり建設的な会話が出来なかったように思う。

自分の未熟さを改めて痛感するような、
仕方がなかったと半ばあきらめるような
なんとも表現しがたい感覚になった。

未熟であるがゆえに成長できるとも言えるが、
それは単なる自分への言い訳でしか無いような
気もする複雑な気持ちである。

ただ、今日の晴れ渡った青空を眺めると
コツコツとした努力の積み重ね以外、
解決方法など無いのだろうと改めて心に誓いたくもなる。



つながる波動
ぱっと一目会った時、その人の優しさを感じ、寂しさを感じ
話したくなる人がいる。それが何かと考えると
その人がこれまでの人生経験で得た大きな塊の一部が
その人の波動として、外部に発信されているからではないかとおもう。
そういう人の波動と共鳴してみたいと欲する自分がいる。





恐怖と向き合う
数カ月前に体験した恐怖。それが時々、フラッシュバックの様に
思い出される。

怖い、悲しい、寂しい、悔しい

特に 怖い が一番強い感情だった。
しばしその感情に支配される。

ただ、音楽を聴き心を静めると、今、自分が生きているという喜びに気付く。
今、この瞬間を楽しもうと思う。今 がつながり、未来の自分となる。
時には落ち込んだりもするが、好きな音楽と共に、前を向いて。




何を信じるか
同じ話をいろんな人から聞くと、同じ話のはずなのに
随分異なったニュアンスになるという事がよくある。

誰もが自己の経験に照らし合わせて話を聞くし、
相手の言葉の響きを自分なりに解釈して、曲解をしてしまったりもする。

関係がギクシャクしてしまっているもの同士が会話すると
伝えたいことの半分も伝わらず、伝わらなくていいところばかりが
印象に残ったりもする。

そういった関係を修復することはムズカシイ。

まず、互いに相手を信頼することである。
それが難しければ、片方だけでも相手を信頼して
相手の話を素直に聞き取ることからはじめることである。

悪口を言うことは簡単である。
でも、もし相手との関係を改善したいのならば、
悪口の後に、じゃぁこの誤解の渦をどうやって取り払っていくか
そういうアタリマエだが、ムズカシイことを考える。

なんとなく思う答えは、
シンプルに、相手を信頼する これが一番な気がする。







幸せの基準
車が欲しい、家が欲しい、彼氏が欲しい、いいカバンが欲しい
ゴルフがうまくなりたい、出世したい、英語がペラペラになりたい。

生きていればいろんな憧れに出会い、それに追いつきたい、手に入れたい
などと思います。
それ、ごく自然なことだと思います。

僕も、上に書いたうちで、家が欲しい、出世したい、
ドイツ語(英語ではなく)がペラペラになりたい等の希望はありました、
家はローン付きで手に入れましたが、他の2つはまだかなっていません。

でも、それ以外にも子供を授かったり、子供が五体満足である
という何よりの幸せも手に入れました。

憧れは、目標としてあったらいいことだと思います。
ただ、目標を目的としてしまうと、話がややこしくなります。
結果ばかりにこだわるのではなく、経過を楽しみ、
経過の途中で出会う様々な出来事に触れ、いろんな発見をし
感謝をする。

結局のところ、目標なんて、別に達成されなくても
いいんじゃないかと思います。達成したら、次の目標を
みつけたくなるのが人っていう生き物ですし。

ただ、今 目の前で起こること、直近に起こることに
勢力を注いで、今を目一杯に楽しむ。


そんな感じが楽しいんじゃないかと・・・





明日
明日のことすらわからない自分。そんな自分が、
数カ月先を考えることが、とてもおかしく、馬鹿らしく思えてきた。
まずは、今を生きよう。そして、一番近い未來、明日のこと
ぐらいを考えて生きようと・・・。