相場と関わると、日々の数値チェックとニュースチェックは欠かすことの出来ない作業だ。私の偏ったものの見方なのかもしれないが、日本人はとかく数値に弱い。これは数学の平均的レベルが低いという類のものではない。日本人の知能レベルが落ちたと騒がれていたが、所詮は世界1~5位から20位に落ちた程度のことであろう。ニュースソースがどのような意図で記述された可能性があるかというのを類推するには、今をピンポイントで捉えるのではなく、数値的な推移から今を捉える必要がある。それには優れた数学的知識は不要だ。
日本人は数値を長期的な視点で眺めて、自分なりの思考プロセスを作り上げることが苦手なのであろう。特にファイナンシャルインテリジェンスに絡む部分に関してはめっぽう弱い。それは偏差値重視の教育に問題があるのかもしれないし、そういう時代に育った親が今子育てをしていることが原因なのかもしれない。自分の子供だけは良い給与・良い地位を得て欲しいと願う親心で、偏差値重視の教育を信奉している。しかし、そのことが導き出す結果は、自分の頭で考えることが出来ずに、勝ち組に分類される人間達に利用される優秀な駒を育てていることだ。
かくいう私も、そういう社会の1構成員として生活をしてきた。大学では理系の学部に属し、朝から晩まで勉強・実験・レポート提出・試験・それに小遣い稼ぎのバイトに追い立てられる日々を送った経験がある。数多くの分野の基礎を一通り押さえるために、次から次へと新しい授業が行われ、数ヶ月後にはテスト、テスト。テストに落ち、追試、再追試。何度か繰り返すうちに最低限のレベルには達する。ただ、そのプロセスで得たものは何かというと?よく分からないものに対して、それなりに努力して、それなりに結果を出すということぐらいだったろうか。
実験レポートを出すに当たって一番苦労した点は、先輩達が過去に作り上げたレポートを部分部分抜粋し、コピーしたことがばれないようにすること。一番苦労するのはレポートの最後に数行~数十行の考察を書くことであったような記憶がある。 数十ページのレポートに比して、この分量が如何に少なかったか・・。
なぜこのような事が起こるのかといえば、自分がそれほど優秀でなかったからというのもあるかもしれないが、そもそも実験をなんのためにしているか、この授業は将来どのようなことに役立つことか等の、事をはじめるに当たっての動機となる部分をすっ飛ばして、やたらと知識ばかりを詰め込む教育に問題があるのだろう。加えて、あまりに詰め込ませるスピードが速いため、落ち着いて自分なりの思考プロセスを挟む余地を与えられないことも問題だと感じる。
運悪く、もしくは運良く、私は自分の頭で考える以外無い状況に追い込まれ、少しずつではあるが自分の人生を自分でコントロール出来る範囲が増えた。ただ、まだまだ大きな渦の中でほんの少し立ち位置を変えられたに過ぎないと感じることが多い。常にとはいわないが、定期的に自分の立ち位置を客観的に眺めてみるというプロセスを持つことが重要だと感じる。
国民全員が戦略的な思考プロセスを取得する必要性はないと感じるが、今の閉塞感の漂う日本社会において、サバイブしていくためにはそういう能力が必要だ。本来的には、一部の政治家や官僚達が国益を考え、国民は彼らの敷いたレールに従って、細かいことは考えずに今目の前にあること+αの事に注力するのがベターだ。ただ、現状ではそれは難しい。というより、目の前にあることだけにとらわれていては、格差は拡大する一方だ。
つい先ほど民主党小沢代表の所信表明演説を聞いた。彼らに政権を預けることで、今よりは良い日本社会へと変革するための第一歩を踏み出せるような気がした。期待感を持って、これから1ヶ月強の選挙戦を眺めていたい。
テーマ:それでいいのか日本国民 - ジャンル:政治・経済
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